日本で2000年公開されましたポケットモンスターの劇場版「結晶塔の帝王ENTI」に出てくる少女ミィは父親が居ても孤独だったのではないでしょうか。

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ポケットモンスター「結晶塔の帝王ENTI」からミィについて考察してみた。

日本で2000年公開されましたポケットモンスターの劇場版「結晶塔の帝王ENTI」に出てくる少女ミィは父親が居ても孤独だったのではないでしょうか。

側にいるけれどいつまでも居てくれるとは限らない、もしかしたらひとりぼっちになるかもしれないと不安を抱えていたのだと思います。

そんな時に父親が居なくなって、ミィは心の中を占めていた不安が的中したと思ったのではないでしょうか。

ミィはこれ以上寂しい思いをしないために、アンノーンによって作り出された幻のポケモン「エンティ」に父の姿を重ねてしまったのかもしれません。

そもそも、アンノーン自体がある意味ミィの心が出現させたポケモンなのかもしれません。

不安が大きすぎるために父親を心の中で消してしまった可能性もあります。

アンノーンはサトシの母親に「ミィの母親だ」と言い聞かせて連れ去るのですが、サトシにとっては悲劇でもミィにとっては幸福だったとも考えられます。

ひとりぼっちになったと思ったら、父親も母親も形を変えて戻ってきて安心したのではないでしょうか。

本来の父親を消して新たな父親と母親を作ったアンノーンがミィの心だというのは、矛盾していると思いますが、人間の考えは妙にチグハグだと思っています。

疑いつつも信じてしまう、またはその逆もあります。

ミィは人間の繊細な部分を抽象的に現していたと感じます。


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